軽井沢の別荘で、これを書いている。
窓の外は、夏の濃い緑。
ちょうど一年前のいま頃、私はまだ会社員だった。
ここで夏を過ごすことも、まだ思いついていなかった。
すべての始まりは、その春の、ある一日の午後だった。
2025年3月。三世代の家族旅行で、軽井沢の宿にいた。
義父母、妻、娘、私。五人だった。
前の夏に義父が「いい宿があるよ」と紹介してくれた一軒があまりに素晴らしかったので、義父母を誘って、もう一度来たのだ。
もとから、自然が好きだった。
その日、宿の窓から外を見ていた。
空は、痛いほどに青かった。
庭は雪に覆われ、向かいの山には、白いスキーコースが幾筋も走っていた。
風はなく、枝の影だけが、雪の上でゆっくりと角度を変えていた。
コーヒーを両手で包んで、ただ眺めていた。
そういう、退屈でもある時間に、ふいに思った。
「夏にここで、別荘を借りてみよう」
それだけだった。
事業計画でもなかった。人生計画でもなかった。
きっかけは、たぶん、10年前の記憶だった。
義父が別荘を一週間借りて、親族を呼んでくれたことがあった。
笑って、食べて、また笑った、忘れられない時間。
「あれの、自分版を、規模は小さくてもやってみたい」
ちょっとの、背伸びだった。
いや、正直に書けば、身分不相応な背伸びだった。
母が前の年に大きな病気から戻ったばかりだったこと。
義父も、若くはないこと。
こうして家族で揃える時間は、何十回もあるわけではないこと。
そういうことを、雪を見ながら、たぶん知っていた。
その月の翌月、私は娘を連れて、もう一度軽井沢に行った。
今度は、借りる別荘を探すためだった。
雪はもう、溶けていた。
その話は、第3話で書く。
いま振り返れば、あの日の窓辺の小さな思いつきが、私が会社を「降りる」最初の点になった。
軽井沢の苔は、あの日から雪に埋もれ、また緑になり、いまは夏の色をまとっている。
これから、ひとつずつ書いていく。


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